「STAP細胞」は実存する!
2014/04/17
松本浩彦
以下はあくまで私の自然科学者としての私的意見です。が、本日の小保方晴子女史の会見を全編観させていただいた所感と、そしてこれで報道された様々な関連記事を検討し、私はSTAP細胞は実存すると考えます。
私にはまるで「中世の魔女狩り」のように小保方女史を扱っているマスコミに対しても提言したく、本文をここに記したいと考えます。私は神戸生まれの神戸育ちですし、理化学研究所には友人もたくさん勤務しておりますが、小保方女史とは面識どころか、名前すら知りませんでした。ですので個人的な擁護や、科学者としての期待とか、そんなものを超越した純粋な私の所感としてお読みください。
捏造だとか、改竄だとか、悪意の有無だとか、そんなものはどうでも良いのです。皆さんが知りたい事は、要は「STAP細胞が実在するか否か」でしょう。そして私は「STAP細胞はある」と、この場で断言します。理由は以下です。
A
1.捏造した論文を「ネイチャー誌」に投稿するような愚かな科学者はいない。
2.小保方女史は実験においてはファンタジスタであるが、論文を書くのはたぶん苦手である。
3.ネイチャー誌に論文を掲載する事は科学者にとってオリンピックの金メダル級の名誉である。
4.STAP細胞を作るには、実は小保方氏しか知らない秘密のレシピがあるに違いない。
5.秘密のレシピがあるに関わらず、誰でも簡単に作れると報道したマスコミにも責任がある。
A
上記のそれぞれについては後で細かく説明します。ですがその前に、私の話を少しだけさせてください。私は文章を書くことについては、全く苦になりません。事実、私は医師ですが小説家の顔も持っており、著作は商業出版として累計40万部を超えて販売されている実績を持ちます。
ですが、論文は小説とは全くの別物なのです。小説は少しくらい、いや、全くの嘘を書いても、最後に物語の辻褄が合えば許されます。しかし論文は一語一句、間違いは許されません。さらに面倒くさいのが、論文内に記載する一語一句に「参考文献」との一致が求められます。ですので、論文を書くのは苦になりませんが、その論文を「投稿する」ためには、相当な、いいえ、物凄く、と言い直しましょう、物凄い労力が必要なのです。もうその時点で、正直「嫌になります」。そして身を切るような思いで書いた論文を雑誌に掲載されるまでの過程も、これまた大変なのです。
最近は99%の科学雑誌において、論文の投稿はオンライン投稿を求められます。つまりメールで投稿せねばならないのです。そしてその前にまず、その雑誌のウェブサイトに自分の全ての個人情報を明かして、アカウントを貰わねばなりません。そして晴れてアカウントを獲得できれば、いよいよ投稿ですが、これがまた雑誌によって投稿規定が異なります。ですので、その雑誌に投稿するためにはその雑誌が求める形式に、自分の書いた論文を書き直さねばなりません。たとえば論文に付属する写真は「Jpegファイル」を指定する雑誌もあれば「TIFFファイル」を要求してくる雑誌もあります。面倒くさいからといって「Power Point」の画像を送ると、それだけで「Your submission has technical error」と、門前払いされます。
要するに、実験も終わり、完全な形の論文を書き終えた後に、その一篇の論文を投稿するためだけに、まず一ヶ月は時間がかかるという事です。しかも大まかに申しまして、日本人は世界で最も英語が下手な民族です。幾度もの門前払いを潜り抜けてようやく投稿できたとして、次のハードルが「査読」です。論文を読んだ査読者がいろいろとその論文にいちゃもんを付けてきます。それでまた、一から実験し直しとか、一から論文書き直しなんて、まず日本人の提出した論文でしたら、90%くらいは書き直しを要求されます。「ネイチャー」「サイエンス」「セル」などといった世界的権威を誇る雑誌でしたら、一発でオーケーなどといった話は聞いた事がありません。
とにかく、日本人の書いた論文は、どんな敷居の低い雑誌であっても、一発でアクセプト、すなわち「はい、オーケー!」と言ってもらえる事はないと思って間違いありません。必ず難癖をつけられます。それに対して真面目に受け止めて、言われるままに再実験し、書き直している間に、英語圏の研究者から似たような論文を投稿されて、先を越されて「はい終わり」なのです。
英語論文を50本以上書いてきた私が言うのですから、間違いありません。ちなみに、ネイチャーなどに掲載された論文は一本もありません。つまらない雑誌ばかりです。自慢になりませんが。
とにかく論文を書くのは研究者にとって、実験するより、大発見するより、実は地道で大変な作業なのです。研究者にとって論文を書くのは重要な仕事ですが、正直言って、論文書いて投稿している暇があればその時間を実験に使いたい、というのが本音です。
ちなみにアメリカの大学や研究所ではどうしているかと言いますと、きわめて合理的。実験してデータを取るチーム、データを統計学的に解析してそのデータから仮説理論を構築するチーム、それらをもとに論文を書いて投稿するチームと、ちゃんと役割分担できていて、人海戦術で攻めてくるのです。とにかくアメリカには世界中から人材が集まってますから、人手には困らない。ところが日本では、それを全部、研究者が一人でやらねばならないのです。まじめに実験をしながら片手間に論文を書いて投稿するなんて芸当、できると思いますか?さて、それでは前述の論点について一つずつ説明しましょう。
A
1.捏造した論文を「ネイチャー誌」に投稿するような科学者はいない。
「ネイチャー誌」は自然科学会において、最も権威のある雑誌です。「投稿した」だけで大学中の話題になります。採用されようが、門前払いされようが、結果ではなく、「○○科の△△先生が、ネイチャーに投稿したらしいよ」というだけで大学中の噂になるのです。これまでのノーベル賞受賞のきっかけになった論文が一番たくさん掲載された雑誌なのですから、学者にとってはオリンピックの金メダル級です。そんな雑誌に、捏造とか改竄とか、科学者ならそんな論文を投稿すること自体は科学に対する冒涜であり、そんな大それた、恐ろしいことを考える学者は居ません。ウソは必ずばれます。ウソの論文を、それもネイチャーに投稿するなど、倫理観の全く欠如した科学者か、はたまた根っからの大法螺吹きしかなし得ない行為です。ましてや実験から投稿に至るまで、全てを指導監督する立場の上司が当然いる訳ですから、虚偽の論文を「ネイチャー誌」に投稿することなど、許そうがありません。
A
2:小保方女史は実験においてはファンタジスタであるが、論文を書くのはたぶん苦手である。
そういう研究者は数多く居ます。私もその一人だったと、ここでカミングアウトします。でも私は、文章を書くことは苦ではありませんでしたので、論文を書く、という作業は別に苦手でもなんでもありませんでした。しかし前述のように、それを雑誌に投稿するプロセスが煩雑で、ネイチャーならずとも、少々名のある雑誌に投稿しようと思ったら、一ヶ月はそのことにかかっきりになります。でも研究者、特におそらく小保方さんのように実験が好きな人は、頭の中で常に20か30、多い時はもっとたくさんの実験アイデアがあります。何せそれが仕事ですし、実験が好きな訳ですから、テレビを観ているときでも、食事中でも、お風呂に入っている時でも、極端にいえばデートしていても、こんな実験をしてみたらどうだろう、それでもし、こんな結果が出れば、次はこんな実験をしてみようと、実験のことばかり考えています。そして事実、そういう研究者でなければ成功できません。そんな人が論文を書いてそれを投稿するなどという面倒くさい作業に、時間を割く事自体、嫌なのです。そんな暇があったら試験管を振っていたいのです。
科学者はコツコツと実験をし、そしてその結果から導き出した自分の発見をまとめあげ、論文として世間に発表する事で一つの仕事が完結します。ですから論文を書くことは実験の集大成であり、最終目標なのです。ですが、例えばプロ野球選手に例えましょうか。バッティングは得意でも守備練習は嫌いとか、盗塁は得意でも、トレーニングの長距離走は嫌いとか、そんなものどこの世界にだってあることです。小保方女史を擁護するつもりはありませんが、彼女は論文投稿という一連の煩雑な業務には向いていない、もしくは嫌いなのです。さっさと論文を書いて掲載されて、次の実験に取りかかりたいタイプの研究者なのです。そんな学者、珍しくも何ともありません。何故なら私がそうでしたから。
A
3.「ネイチャー誌」に論文を掲載できる事は、科学者にとってエベレスト登頂より名誉である。
ここが私の、実は疑問点なのです。過去、ネイチャーに最も多くの論文を掲載された日本人は南方熊楠という和歌山の人で、博物学者、生物学、特に菌類学者、民俗学者、天文学者、人類学者、考古学者、宗教学者と様々な顔を持ち、18ヶ国語の言語を自在に操ったとされる天才は、生涯で51本の論文をネイチャーに掲載しています。これは前人未到の大記録です。おそらく今後、日本人でこの記録を破る人は現れないでしょう。野球でいえばイチロー選手のような、不世出の天才科学者です。ちょっと話が逸れましたが、小保方女史はネイチャーに投稿できるほどの研究に成功したのですから、なぜもっとちゃんと論文を仕上げなかったのか。それが私の最大の疑問です。もし私なら、一年くらいかかってでも、完璧な論文に仕上げて投稿します。一生に一度あるかないかのチャンスなのですから。ここからは私の推測ですが、おそらくその理由は彼女の所属する理化学研究所の思惑があったと思います。政治がらみの特定認可を受けるために、世界をあっと言わせることのできる、このSTAP細胞の発見を一刻も早く、ネイチャーに掲載させたかったのです。ですから彼女の上司、果ては組織のトップからかも知れません、早く書け、早く出せと、矢のようにせっつかれたものと推測します。そこに持ってきて論文書きが嫌いな小保方女史は、エーイ、これで良いやっ、てな具合で発表した。そう考えれば辻褄は合いますが、それにしてもこの疑問に対してだけは、まだ答えが見いだせません。
A
4.STAP細胞を作るには、実は小保方氏しか知らない秘密のレシピがあるに違いない。
料理に例えましょう。水を張ったお鍋を火にかけ、すぐに砂糖を入れる。そして正確に2分50秒後に塩をひとつまみ入れる。鍋をじっと見つめて、沸騰する直前に醤油を一回しかけて、すぐに火を止める。余熱でプクプクと泡が立つのがおさまったら、直ちに鍋をコンロからおろす。STAP細胞を作るには、おそらくそんなくらいの詳細なレシピがあるはずです。ところが今回の論文にはそこまで詳しくバラしていない。まず一番の理由は「特許」です。特許申請と認可との時間的な兼ね合いから、全てを明かしていないだけです。そしてもう一つ、たぶん、小保方女史は、第2報、第3報と論文をネイチャーに発表して、少しずつ、その秘密のレシピを公開していくつもりだったと思います。その方が論文の数が稼げますから。ところで医者の世界で優劣を決める尺度は何か、ご存知ですか?
手術の上手さ、速さ、診断の的確さ、患者に対する優しさ、年収、知識の量……あの先生が良い先生だと患者さんから言われるのは判りますが、それを数値で測る尺度はありません。医師の世界で求められるのは論文の数です。それも日本語の論文は含みません。英語論文が査読雑誌、要するに、掲載されるために、その雑誌の編集者がいちいち難癖をつけてきて、なかなか掲載してくれない敷居の高い雑誌ですね、その雑誌に何本英語論文を発表したか。それが今の日本における医者の評価なのです。ウソみたいな話ですが現実です。それしか数値化できる尺度が無いから、仕方ないのです。間違っているのではないかと皆さん思われるのは当然です。医者である私だって、納得いきません。でもそれが今の日本の、いや世界の医学会の常識であることは間違いなく事実です。
手術の上手さ、速さ、診断の的確さ、患者に対する優しさ、年収、知識の量……あの先生が良い先生だと患者さんから言われるのは判りますが、それを数値で測る尺度はありません。医師の世界で求められるのは論文の数です。それも日本語の論文は含みません。英語論文が査読雑誌、要するに、掲載されるために、その雑誌の編集者がいちいち難癖をつけてきて、なかなか掲載してくれない敷居の高い雑誌ですね、その雑誌に何本英語論文を発表したか。それが今の日本における医者の評価なのです。ウソみたいな話ですが現実です。それしか数値化できる尺度が無いから、仕方ないのです。間違っているのではないかと皆さん思われるのは当然です。医者である私だって、納得いきません。でもそれが今の日本の、いや世界の医学会の常識であることは間違いなく事実です。
今回の件に戻りましょう。小保方女史の計画、いや、理化学研究所の計画かもしれませんが、まず大々的にSTAP細胞の存在を発表して、小出し小出しに、その細かいレシピをリークしていく。リークという言葉は適切ではありませんね、論文の第2報、第3報としてネイチャー誌に投稿して世界に発信していく。そうすることで小保方論文は、長期にわたって、世界中の研究者の注目の的になります。ズルでもなんでもありません。研究者なら誰だって考える、普通の手法です。でも、世間的に見たらやっぱり「ズルい」ですよね。でも長く研究ばっかりやってると、そういう世間の倫理観から少しずつズレて「浮世離れ」していくのです。私は良くそれを「麻痺していく」と表現します。
A
5.秘密のレシピがあるに関わらず、誰でも簡単に作れると報道したマスコミにも責任がある。
前述のようにSTAP細胞は確かに存在するはずです。しかしその作成には、間違いなく、相当に複雑なノウハウ、秘密のレシピ、魔法の隠し味、があるはずです。ところが思い出して下さい。小保方女史が最初に発表した時のマスコミのフィーバーぶりを。それこそ「砂糖と塩と醤油をいっぺんに鍋にぶち込んで、火にかけたら出来上がり!」的な報道でした。小保方女史には今後の実験とその発表に関して、理化学研究所も含めて、おそらく綿密なスケジュールを立てていたはずです。ところが世間の反応が思わぬ方向に向いてしまった。例の割烹着の件だってそうです。あんなどうでも良いことまで、テレビで大きく取り上げられた。小保方女史は釈明会見で割烹着のことを尋ねられた際、「面白いことに着目するんだなと思いました」と答えました。あれは本心だと思います。彼女にとってはどうでも良いことなのに、そんな些細なことにまでマスコミは食いついてきました。彼女の頭の中には、もう次の実験、次の論文のことしかなかったはずです。それがあの大フィーバーです。事態が思惑と違う方向に、それもマスコミの興味本位の報道が元で、どんどん一人歩きしてしまった。言い換えればそのくらい大きな発見だったのですが、彼女も含め理化学研究所の研究者の皆さんは、ある意味そんな世俗から超越した「仙人」のような人たちです。ましてや理化学研究所に入ることができるということは、科学者としては日本の最高峰です。そんな人たちが、我々のような巷の、悪い言い方をすれば「野次馬」の下世話な心情などご存じなくて当然なのです。一番驚いているのは、小保方女史よりも、理化学研究所のトップの人たちではないでしょうか。
以上の点から私は「STAP細胞」は存在する。と結論づけます。そして、小保方女史と理化学研究所の発表の仕方と、その後の対応はまさに、失礼ながら、いかにも「学者バカ」らしい、としか言いようがありません。我々愚民の愚かさをご存じないので、仕方ないと言えば仕方ないのですが、もっと上手くやれば、こんなに大騒ぎにならなかったのに……と思えて、私はとても残念なのです。
平成26年4月9日 記